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長島散策

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ボタン園散策して長島川の整備された遊歩道の川沿いを散策し、ついでに、幼少のころ生まれ育った街を見に行きました。



川沿いは風が吹いて涼しいので、どんどんそのまま進み花林院というお寺へ。禅宗の曹洞宗で、400年以上続く、徳川家のゆかりのある由緒あるお寺です。

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この鐘突き台の石垣の上からよく飛び降りで遊んでいたものです。

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昭和40年代の終わりに、祖父が建てた当時としては新しい、鉄筋コンクリートの建ての本堂。
長島は、土地が低いので、水害やまた、火事にあったことがあるので、耐火性も考えて建てたのだと思います。伊勢湾台風のときは2階まで水が来たと父から昔聞きました。

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今もどこのお寺ということなく尋ねるとホッとするのは、このお寺で育ったからでしょう。
小さい頃は、墓場が遊び場で、友達と肝試しなんてへっちゃらで、よく一人で墓場で遊んでいました。今思えば、ちょっと怖いかも。
しかし、お墓は死んでからの家と同じなので恐れるものじゃないんですけどね。

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祖父が住職をしていて、父も先生と掛け持ちでそのあとを継いで弟も一休さんみたいなくりくり頭の小坊主で父の後をくっついて檀家回りなどしていたのですが、途中で、体を壊したのでやめて、祖父のお弟子さんにあとを変わってもらい越してきました。

もし続いていたら、私はソフトボールブログではなく、きっとどこかのお寺に嫁いでそのお寺のホームページなどやっているでしょうね。

そのあと、山門を出ると商店街があったのですが、やはり、ここもシャッター商店街となりさびしく
ちょっと、ショックでした。
昔は、石取まつりをこの通り3つの町内で祭車をだしてにぎやかにやっていたのですが、今はどうなっているのでしょうか。

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帰り道また、川沿いの遊歩道を通り、花みずきが満開になっていました。

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なんだか疲れました。長島の昔の商店街の寂れ方に見てはいけないものを見てしまった気がしました。浦島太郎のような気持ちでした。

お寺は小さい頃はとてつもなく広かったのですが、大人になると小さく見えました。
このあたりはお寺が多く、木造の立派なお寺もいくつもありました。

ちなみに、長島中学校と中部小学校のたっている敷地は、長島城あとで、大手門後などもあります。
確か、戦国時代織田信長の長島攻めのときこの辺が舞台だったような。

その頃は、今のようなひとつの島ではなく、明治ごろまでいくつも小さな島に分かれていて、名古屋までの陸路はなく、桑名から七里の渡しが名古屋の宮(今の熱田)まで船が交通交通手段でした。
by ekiseicherries | 2012-05-01 13:18 | 街ネタ


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