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昭和の歌姫シリーズ 渡辺美里

週末一人でテレビを見ていたら、谷村新司が渡辺美里を迎えて歌番組をやっていました。
渡辺美里はこのマイレボリューションがイメージ強いですが、他にも80年半ばから90年代前半に、ヒット曲をだしています。美里さんもはつらつとして元気で若い女の子として出てきました。
西武球場で20年連続コンサートを行ってずっと前を向いて走り続けてきた歌姫です。
ちょっと前の歌番組では、声が出なくなったなあと思っていたら、この番組では、声量がでていて歌唱力で圧倒されました。
番組で、ベット・ミドラーのROSEをカバーして歌っていました。高音ものびて、情感こもっていてました。元の歌はちょっと寂しさを感じるのですが美里さんが歌うと生命力が歌に乗り移ってわーっと元気をもらった感じがしました。

西武球場でのコンサートの様子です。観客が、私と同世代なので、懐かしかったです。
渡辺美里の名前のヘッドマークが付いた専用列車も出て、コンサートは夏の名物となって、時代を引っ張っていったのです。
西武球場でコンサートを始めたのは弱冠二十歳のときです。軽い気持ちで引き受けたので、後で本当いできるか不安になったけれど、やり始めたら全力で歌い続けたそうです。

映像で見ると、4万人の前でたった一人で歌うのですから、歌う前はどんな緊張しているのか想像がつかないです。のど自慢の予選の時を思い出すと、一人で出たときは友人と出たときと違って頭が真っ白になるぐらい緊張感がありました。
まあ、美里さんはプロなので比べようがないですが、コンディションを整え節制していたのでしょう。
雷雨の中、コンサートが中止になったときは、最後アカペラでファンのためにこの曲を歌って泣いていました。

西武球場コンサートの10年目では、ジョギングパンツに着替えて、球場内のファンの前をぐるりと一周して走りました。
10年全力でやってきたので、これで終わりにするつもりで走ったそうです。
それだけに全身全霊で歌い続けてきたのでしょう。
しかし走ってみた後、ゴールが見えたのではなく、美里さんには、またその先に道が見えたそうです。それでまたやり続けることになり、2005年に最後となったときも4万人近くのファンが駆けつけました。

4万人もお客さんを集めて、何か話して、堂々と渡り合えるのって日本で女性で何人もいないです。
20年もやりとげたのは、ものすごいエネルギーのある人なのでしょう。

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昭和から平成に代わる頃のシンガーソングライターは、コンサートだけでなく、ラジオ番組を持ったり、音楽雑誌などで、生き方をファンに向けて語っていました。その中でも美里さんは、前向きなメッセジを出して若者たちを牽引していたのです。

今年は1985年からデビューして30周年の記念の年です。
今の彼女もシンガーソングライターとして輝いています。

そして歌声に年齢ともに歌にハートがこもってて、いいなと思いました。声量があるだけでなく、ハートがこもって歌に表情がでる歌手って鬼に金棒です。
今も健在なのがうれしいです。

昭和の歌姫と書きましたが、平成に入ってからの活躍が素晴らしい渡辺美里さんでした。

by ekiseicherries | 2015-11-12 08:06 | 芸能


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